140字のわたし・31
- 2016.11.16 Wednesday
- 22:30
季里の店では冬、生姜湯やゆず湯を出している。生姜湯は黒糖が好評だ。困るのは、それがメニューではなくサービスにしろ、というお客さん。服屋へ行ったら、ストールは無料だとでも言うのだろうか。そういうときは、対応を兄に任せているが、いずれは季里が、ちゃんと断れるようにしなければ……大変だ。
季里の店では冬、生姜湯やゆず湯を出している。生姜湯は黒糖が好評だ。困るのは、それがメニューではなくサービスにしろ、というお客さん。服屋へ行ったら、ストールは無料だとでも言うのだろうか。そういうときは、対応を兄に任せているが、いずれは季里が、ちゃんと断れるようにしなければ……大変だ。
季里は、ある人に影響されて、自殺した人の手記を何冊も読んでいる。どの人の文章にも、ひりひりするような傷みがあって、どうして死を選ぶ人は、こんなにも繊細なのだろう、と思う。そこは季里は無神経だ。だから生きていける。それはそれで楽しくはないのだけれど、生きることの得を少しは知っている。
季里はニュースが嫌いだが、進学のためには世の中のことを知るべき、と言われて、新聞を読んでいる。嫌なことばかりが目立つ。一日ぐらい、「今日は何もない一日でした」、という日はないものか。決してそんな日はないと知ってはいるが。そう思わせるから新聞は嫌いだ。子どもっぽすぎるだろうか……。
季里にラブレターが届いた。開けてみるとクラスで成績2,3番、棒高跳びの選手だ。どうして季里を好きになったのか、見当もつかない。理由を聞きそびれて、自分の『力』についても話せなかった。今は友達として付き合っている。うまく距離感をつかむのはお互いに難しい。たぶん向こうもそうなんだろう。
たぶん、ここから発展することは、ない、と思います。何と言っても卒業年次ですし、共通の話題がありませんから……。
それに、私はひとりではありません。
140字のわたし、のシリーズですけれど、せっかく140字なので、ツイッターと連動できないか、早見さんと相談中です。
ツイッターのほうは、北野勇作さんの「ほぼ百字小説」というのがありますので、それより範囲の狭い方に読んでいただくのはどうかとか、このシリーズはぴったり140字なので、Twitter(ああ、やっと文字が出た)で掲載するには何字か削らないといけないのがきつい、とかいろいろあるのですけれど、非実在高校生は、存在をアピールし続けないと消えてしまうものですので、どうかなあ……ということを、考えています。
ただ、禁則処理はしているものの、140字ぴったりに原稿を書くのは、それはそれで気持ちがいいですし……。
とりあえずは、もうちょっと、実績を積まないといけないでしょうね。
ひとつ前のエントリーで、すべては存在しない、幻想のみ、と書きましたが、これは、私たち(どの辺が「私たち」なのか、も困った問題ですね)の好きな、大森荘蔵さんの「唯幻論」と似通うところがあります。大森さんの哲学を語るのは、おこがましいどころではないのですけれど、誰かが語り継いでいかなければいけないようなことだと、私は思います。
「ずっと、そこにいるよ。」の中で、大森哲学に早見さんは挑戦しているのですけれど、成功したか、と言われると、ちょっと……です。どんなに理想が高くても、表現できなければ、小説としては失敗、ということなのでしょうか。きっとそうですね。私個人は、おもしろかったのですけれど、「身内」の言うことですから……。
ネットは不思議だ、と季里は思う。まったく知らない人と、顔を突き合わせて話をしていたり、友人になったり、いがみ合ったりしている。ときどき、本当は世界には誰もいなくて、すべて自分の妄想ではないか、と思うこともあるが、それはネットが誕生する前からあった幻想だ。自分はない。ただ幻想のみ。